AYA KURASHIKI

WORKS

Grave

Text

数枚の写真をデジタル上で合成する。

写真にはそれぞれ撮影した背景があるが、上記のプロセスを踏む事によって具象性を失わせる。

抽象化された画像は全体で1つのもののように見えるが、そこには個々の写真が含まれている。「個は他と結合された全体であるが、同時に、全体はそれぞれ個でもある」という矛盾した状態となる。

タイトルの<Grave>は和訳すると「墓」である。

墓に眠る人間はその土地の一部となり、故人と関係性を持たない人間にとっては墓は風景の一部分となる。

それもまた「個は他と結合された全体であるが、同時に、全体はそれぞれ個でもある」という現象であると倉敷は捉える。 

 

 また「個」とは倉敷自身も指す。

<Grave>に使用している写真は全て自身の目線から撮影したものだ。

写真を「瞬間を切り取るもの」と定義するならば、この作品には複数の倉敷の時間を含む。

自身の日常を切り取ったスナップ写真をフォトショップ上での合成という手段を使い、レイヤーとして重ねていくことで写真は倉敷の墓となる。

墓とは単なるこの世に故人がいたことを示す記録ではなく、肉体を失ったあとの精神の拠り所でもある。

Bury

Text

箱型の作品を、倉敷の生前葬の仮の骨壷として対象者の手元に一時的に保管、顴骨勤行をしてもらう。

顴骨勤行とは通常、故人の親族など近しい間柄の人間が行う風習である。

互いに顔の知らぬ事業者と倉敷が、仮の顴骨勤行により一時的に近しい関係となる。

Text

 “8”は3つの作品から構成される複合型作品である。

木製パネルに転写を施した囲い型の作品の中で、浴槽を使用したインスタレーション、鑑賞者とコミュニーケーションを直接測るパフオーマンスを行う。

それぞれは段階として存在しており、鑑賞者に経路を歩ませることによってメッセージを汲み取らせる。

 

第1の“Transition”でスティグマや抑圧・固定観念、第2の“Obscure”にて見えないものを想像していくこと、第3の“Breast”ではコミュニケーションと共生についての取組を行っていく。

鑑賞者はまず平面作品“Transition”を看板に掲げた“8”という箱型作品の外側から中に入り、“Obscure”での第一のカーテン、“Breast”での第2のカーテンをめくり進んで行く。

その度に人々は見えない向こう側へ踏み入らなければいけない。

またこれらは「シェイクスピアのオフィーリア」から「ミレーのオフィーリア」、そして「ランボーのオフィーリア」から「ランボーの永遠」を配線として、最後は鑑賞者と倉敷の対話を経て完結する。演劇・絵画・詩をレイヤーに含んでいる。

 

倉敷の作品は本作を経て、我々が個々に孤立した存在である事への叫びや理想郷の所望から「私達は孤独な別々の生き物である。故に思想や主義・主張はそれぞれ異なる為、ぶつかり合う事も必然的である。

では、そこからどう共に生きて行くか」という現在進行形へと変化した。

これは「共にあること」をめぐる思策である。

実験の内容としては対話やコミュニケーションを基に意見を交換し、目の前の鑑賞者と倉敷という小さな共同体から、我々を一つの要素とした社会全体という大きな共同体のマイノリティや隠蔽された部分まで、「境界の向こう側を想像していくこと」をおこなっていく。

My Grandma’s

  • My late grandma’s house.

    祖母は屋敷に犬と一人で住んでいた。
    亡くなる数日前から祖母は家に見知らぬ他人がいると騒ぐようになった。

  • Self portrait : I wear my late grandma’s clothes.

    祖母の葬儀の日、親戚達はみな口々に私を祖母の生き写しだと言った。
    未だあの家には祖母の霊が住み着いているらしい。