AYA KURASHIKI

#Salome

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《Transition》
H1455×W1220mm
ミクストメディア
2021

サロメはファムファタルなどではなかった。聖書には サロメが裸体で踊ったという記述もなければ、首を自ら求めたという記述もない。彼女はただ踊りの名手で、王に褒美は何が欲しいかと聞かれ母の伝言を伝えただけだ。モローの《出現》によって、サロメは艶かしく裸体を人前に晒し、自ら首を求める、男を破滅させる女へと変貌した。
モローは自註にて「女と言うのはその本質において、未知と神秘に夢中で、背徳的悪魔的な誘惑の姿を纏ってあらわれる悪に心を奪われる無意識的な存在なのです。」と語る。女の生来の無意識的な邪悪性を強調することにより、ファム・ファタルへの性的な憧れを正当化し、魅了されてしまう男を免罪する。
またモローのサロメにはオリエントの傾向が見て取れる。エロティックな裸体を人前に晒し踊る姿には当時のエジプトの「アルメ」という舞姫(=娼婦)のイメージが元となっており、そこには西洋による他者(中東・東洋)への差別的な視線が感じられる。

本作のサロメの身体には日本のアダルトビデオから女優の身体をコラージュして取り入れている。日本のアダルトビデオ文化の強さからメディアが作り上げた日本人女性像は根深い。また性産業に従事する女性達はサービス業の中で男性客の求める女性像を演じるが、そこに対するイメージは業務の枠からはみ出し、社会や日常の中でもスティグマとして彼女らに付着してくる。性産業の多くは女が自らの身体を男に売るものではなく、男が女の身体を男に売っている。欲深く挑発的な女と無力で受動的な男の関係性はそこには存在しないにも関わらず、性産業の問題は女のみの問題とされている。
今作の中ではサロメは作り上げられたスティグマを表す。悪女サロメとの対比としての聖人男性であるヨカナーンの象徴する無力にも運命の女によって悲劇を迎える男は存在しない。断頭を決行したヘロデ王や、サロメに褒美に首を求めるよう告げた母へロディアらの顔は見えず、ただ高みから様子を眺めている。モローの《出現》に見られる女性美のうちに具現化された悪と死の宿命的な力の中に男性主体の身勝手な幻想と性欲を投影している様子を、現在の性産業界の問題に重ねた。

 

 

WATOWA ART AWARD2021グランプリ受賞作品